NOUVELLE CRITIQUE

―― 新批評誌 ――

 

 

 

Aesthetica OLIVIA 編集部

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2010年ペナントレースの観戦ポイント

                                                                          20091121

                                                                                                                執筆者 M.I.

             

(2)  セ・リーグ、タイガースを中心に

前回、2010年のパ・リーグ展望で、日本ハムを脅かす一番手の存在を楽天イーグルスと私は書いた。今年の日本ハムは、この数年間で最もチーム力が完備された年だったとは言いがたい。このチームの日本シリーズ出場を容易にした原因の一つは、ライバルチームの不在であった。ロッテと西武のいかにも早すぎた脱落である。

そして、このチームの来期における上昇可能性を私は半々と考えている。私は、各チームの総合力を、(A)先発投手陣の質と量、(B)監督についての評価、(C)その他の野球のすべての要素、たとえば攻撃力、リリーフ投手陣の質と量等々、の順で採点する。したがって、(A)については、既に今年の段階で、楽天が上であった。来期、(B)についても、ブラウン監督に対する私の評価は日本ハムより上位と考える。(C)で、日本ハムの方が上と採点しても、楽天の優勝可能性は50%以上と私は考えるのである。

一方、セ・リーグとなると事情はがらりと変わる。今年の巨人は、21世紀に入って以降、かつてない充実したチームになっていた。原監督の近代化への努力については、既に何回か書いてきたが、その進展は想像以上に早く、今年のペナントレース、そして日本シリーズを圧倒的な強さで制していった。しかし、今年強かった巨人といえども、それは上昇を続ける軌跡の中での一つのプロセスにしか過ぎない。原監督の目標に達したとは言えないだろう。ということは、来期の巨人は今年を上回る戦力を持つことになる。パ・リーグと違って、この日本一チームに挑戦することは、来期、Aクラス入りを果すと予想できる中日、阪神にとって、決して容易なことではない。

新監督ブラウンのイーグルスと同様に、真弓監督のタイガースも明るい希望に満ちてはいる。真弓阪神は、来期は2年目であるが、今期の経過を考えれば、殆ど1年目に等しい。そこに、私は挑戦者・阪神の善戦の可能性を見出すのである。つまり、今期のスタート時点で、真弓監督はつまずいた。岡田野球の継承が、そのつまずきの因だが、わずか1ヶ月そこそこのつまずきも、近代野球の厳しいレースにおいては、それを取り返すには1年以上を要する。半年そこそこのレースでは、取り返しは不可能となるのである。

岡田野球における問題点を簡単に記そう。まず、オフェンスにおいて先発メンバーの固定化。打順の固定化。代打の起用も殆ど8番、9番に限定される。次に、ディフェンスにおいては、先発投手陣の整備を常に怠ってきた。その極端な例が、2007年、投手成績欄に阪神投手陣が一人もいないという珍記録である。それは、リリーフ陣、JFKはもとより、江草、渡辺、等々に対しても酷使を強いるという岡田用兵である。

もともと日本的野球の一つの特質として、先発メンバーの固定、打順の固定を良しとする考え方があった。というのも、第二次大戦後、プロ野球が発足して数年間の一リーグ制時代、また二リーグ制になった初めのうちは、選手達の数も豊富でないこともあって、先発メンバーの固定化、打順の固定化が時代の成り行きでもあった。そういう時代では、例えば阪神タイガースの四番バッターの藤村富美男三塁手、また例えば一番バッターの呉昌征中堅手が、ときどきではあるが、マウンドに上がり、勝利投手となるようなケースもあったほどである。その後、プロ野球界のさまざまな面が進展し、充実してきたのではあるが、先記した「固定化」の通念は常に生き続けてきた。

しかし、仰木監督、バレンタイン監督達の近代化野球によって、そうした固定観念は徐々に薄らいでいった。今年の巨人は、それをはるかに薄め、逆に近代化を強めることによって圧倒的な力を発揮したのである。

それに対して岡田監督は、この古めかしい通念を頑迷なほど守り通した。この3年来、たとえば葛城選手や桧山選手が代打に立つと、「阪神は層が厚いですね」の言葉をよく耳にしたものである。実際、その通りである。彼等は代打で常に3割を打ち続けていた。しかし、’07年は、1割バッターの今岡、シーツをクリーンアップに置き、また’08年は、やはり1割バッターの今岡、フォードを打順の中心に置いたまま2ヶ月以上を経過させた。たまに先発出場した葛城選手がマルチヒットを打っても、翌日から数試合をベンチに座らせていた。この繰り返しの中で、やがて葛城選手も桧山選手も2割半ばという打率にまで調子を落としていったのである。層が厚いと言われた阪神は、いつの間にか、層の薄いチームに転換してしまっていた。そして昨年、月間勝ち越しは7月まで続いたが、ついに8月、9月と負け越しに転じた。その段階では、先発メンバーも代打陣も活力を失い、またリリーフ投手陣は酷使に疲労困憊し、約5年続いた巨人戦勝ち越しを覆され、巨人に優勝を譲る結果となった。

因みに、’08年の阪神の投打の成績は、防御率1位、打率3位である。5人を中心としたリリーフ陣の、文字通り必死の働きによって3位以下に転落するのを免れたものの、必死という文字が示すように、この「リリーフ陣という珠玉」は、磨滅してしまったのである。また、ペナントレース直後は、今岡、フォードの1割バッターを常時出場させるという岡田用兵の拙さにもかかわらず、それ以外の全選手が驚くほど打ちまくっていたために、チームも首位を走り、最終的な脱落があっても、チーム打率そのものはリーグ3位にとどまることができた。だが、この年間の経過を知らずに、阪神の投打の成績を見た場合、人によっては、「この安定したチーム力が巨人との優勝争いを演じさせた」と思うかもしれない。しかし、ペナントレースが閉じる頃、阪神はすでに死に体であったし、巨人が阪神を抜いてゴールインすることは、先頭を走っていた長距離走者がばてて、あとは残された距離がどの位あるかにかかっていたのと同じである。

「層が厚い」と言われた阪神。その時期は、戦力も、当然ながら、優勝を狙えるチームとしての、最も充実した時期でもあった。だが、この頑迷な「岡田野球」によって、阪神の戦力は、ついにBクラス並みとなったのである。私は、昨年、次のように記述した・・・・・・岡田監督などの首脳陣が辞任しないかぎり、来期(’09年)のBクラス転落は免れないだろう。


以下のリンクを参照

リンク:’08年プロ野球ペナントレースの行方 (2)セ・リーグ概略 (B)阪神タイガース

真弓監督は、就任早々、社交辞令として口にした「岡田野球の継承」を約1ヶ月後には完全に廃棄した。結果としては、4位にとどまったが、激しい3位争いをするまでの強さを見せた。なお、真弓監督における「岡田野球」の継承は、オフェンスについてのみであり、ディフェンス、特に投手起用においては、リリーフ陣の酷使や、歪んだローテーションもなく、その結果、久保田(K)、ウィリアムズ(J)の両投手は、昨年の酷使がたたって立ち直れなかったものの、藤川(F)投手は、往年の力をようやく取り戻してきた。

大戦後の阪神タイガースは、いかにも監督に恵まれていないチームと言えるだろう。その90%を占める阪神選手出身の監督は、チーム力完備あるいは再生を果せず、いわば成功しない監督の部類に入る。また、吉田義男、村山実両監督のように、一流選手出身ではあるが、失敗した監督の部類に入ると明言されても仕方のない監督達も多い。結局のところ、阪神を安定した優勝可能チームにしたのは、外来の藤本定義氏、星野仙一氏の2人だけである。

特に、藤本定義氏は、全球団の歴代監督の中でも指折りの名監督と言えるほどの手腕を発揮した。詳説は別稿に譲るとして、大戦後の阪神はダイナマイト打線を名物とした。呉、金田、別当、藤村、土井垣、本堂、玉置(のち安居と改姓)。この1番から7番までが打撃ベストテンに入るほどの威力を発揮した。しかし、強力打線だけで優勝が困難なことは、野球における常識である。そして阪神の歴史もその例に漏れない。1947年の優勝は、この強力打線に加えて三人のエースが存在したことによる。若林、御園生、梶岡の三投手である。

しかし、大戦後の優勝はその1年だけにとどまった。ダイナマイト打線はいつか火が消え、2リーグ制になってからの阪神は下位に低迷するチームにまで転落した。1950年代の半ば頃、打撃陣は依然として低迷していたが、先発陣が充実してきたことにより、リーグ23位というAクラスに常駐するチームになった。渡辺省三、小山正明、大崎三男のエース達である。しかし、阪神の選手達は殆ど優勝を考えることはできなかった。2位、3位という成績を残しながら、しかし、優勝をはるか彼方のものとして考える実情は、昨今にはないことだろう。これも一つの野球常識「投打のバランスが、チーム力を作る」が、阪神はアンバランスなチームだったのである。

だが、このアンバランスを一つの特色として、阪神を優勝可能なチームにしたのが藤本定義氏である。巨人軍創設時の監督、阪神監督就任時は58才。当時としては、21世紀の今日と違って、かなりの老齢である。しかし、藤本監督は年に似合わない柔軟さと、鋭い直観力に基く信念の持ち主であった。当時としては殆ど例のない、先発投手のローテーションを打ち樹てた先駆者なのである。1962年、阪神監督就任。阪神優勝。この時のチーム打率は.223、リーグ第5位。しかし、チーム防御率2.03。この驚異的な数字は、まさに二人のエースの驚異的な数字によって生れたものである。小山正明投手――2711敗、防御率1.66、村山実投手――2514敗、防御率1.20。巨人の初代監督とはいえ、巨人とは全く異質のチームカラーの中に、己の方向を見定めた「最もフレキシブルな監督」としての姿を現出したのである。

真弓監督は、初の「阪神出身の名監督」になる可能性を持っている。彼は阪神に入団する前、西武に在籍したことがあるが、「阪神の真弓」として知られる存在である。阪神出身と明言しても差し支えあるまい。

さて、チーム採点の(A)、(B)、(C)を考えた場合、(A)先発陣については、阪神が巨人を上回る可能性は十分存在する。もう一つのライバルとなるべき中日は、やや変形的な投手王国のチームと言える。一シーズンを終わってみると、結局、6、7人の先発投手がいたことになるが、各時期においては、だいたいエースは2人から3人という問題点を残してきた。昨年のチーム力低下を改善しつつあるといえども、来期開幕に向けて、強力先発投手陣を十全に揃える体制ができあがるか、それが鍵となる。巨人もやや似たような傾向にある。中日ほどの量を持たないとはいえ、一シーズンの中では、主力投手陣はやはり6、7人存在した。しかし、一シーズンを通してエースであり続けたピッチャーは、やはり2人が限度となっている。ゴンザレスは来年もエースの一人として先発陣の軸になるだろう。それに続いてオビスポ、高橋が安定した存在になるだろうが、あとの3人、内海、グライジンガー、東野がどこまで安定した力を出せるかがポイントとなる。それに対して、阪神は左腕の能見、岩田、下柳3投手が健在だろう。2年前ぐらいまでは、エースの一人に違いなかった下柳も、40才を越した今、シーズン毎に力は落ちていくだろう。しかし、野手陣の金本、矢野に比べれば、彼のいかにも長持ちに相応しい体質は投手寿命を延ばすものと想像できる。右腕の安藤、久保、福原は、それぞれ今年以上の活躍を期待できる。そして、この豊富な投手陣の中心になるのは岩田稔投手に他ならない。とすれば、あくまで想定に過ぎないが、現時点では阪神投手陣がリーグ一になる可能性はある。しかし、私は、この6人が予想したとおりの力を発揮したとしても、やはり江草を先発陣に加えるべきだという考えは常に変わっていない。

次の(B)監督の評価については、判定が難しい。選手時代の両氏を見た場合、原辰徳氏は、打撃三部門では評価の低い打点王を一度取っただけの、平凡な中心選手に過ぎなかった。それに比べて、真弓明信氏は右バッターとしては少ない首位打者の一人になり、またホームランを30本以上打てる長打力もあり、その上、好守好走の持ち主であった。選手時代の成績と監督しての実績は必ずしも一致するものではないが、真弓選手における活躍の内容には、「良き采配者」となる素質をうかがわせるものがある。一番の特質は、いま起用した用兵に疑問を生じたとき、あるいは、新たな有効性を別に見出したとき、その転換が、巨人の原監督に次いで早いという点である。そして捨て去った事柄を振り返ることをしない決断力も優れている。

対極の例として前任者の岡田監督を挙げることができるだろう。絶好調の葛城をスターティング・ラインアップに起用し、その葛城が阪神の勝利を決める活躍をしたが、次の日からは、続けて1割バッターのフォードを先発に使ったりした。つまり己れ自身の最初の観点に狂いが生ずれば生ずるほど、意地になって、自らは宝庫と考える「古き皮袋」への未練を断ち切れないのである。巨人の原監督は、その謙虚さと学習力の強さによって、今年の巨人を作り上げたが、その上昇軌道は来年も続くに違いない。


以下のリンクを参照

リンク:今年のペナントレースの最終ポイント−(3)−巨人ジャイアンツ

最後に、(C)チーム力におけるさまざまな要素、攻撃力、リリーフ投手陣を含めた守備力、量と質で計る総力等々、では巨人が圧倒的に上である。導き出される結論は、(A)における阪神の上位性は巨人に対してそれほど大きくない、逆に(C)における巨人の上位性は阪神に対して圧倒的に大きい。

したがって、パ・リーグにおいて、楽天イーグルスが日本ハムファイターズを破る可能性に比べて、阪神タイガースが巨人ジャイアンツを破る可能性はかなり困難であることが予想できる。しかし、このパ・セ両チームは、まちがいなくエキサイティングな試合を見せてくれるだろう。

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